何気ない日常が どんなに有難いことか 令和3年1月

 新年明けまして おめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

「何気ない日常が どんなに有難いことか」

 この言葉を実感として感じさせられた昨年でありました。ご承知の通り、コロナ禍により、これまで当たり前だった生活がままならないものになり、我慢の一年であったことと思います。

 昨年を表す漢字(日本漢字能力検定協会)に、1位~3位までそれぞれ「密」「禍」「病」が選ばれ、コロナ禍により、様々な場面で閉塞感を感じるような世相を反映させるものであったことから分かります。

 しかし、小学生が選ぶ漢字(ベネッセホールディングス)は、1位~3位までそれぞれ「笑」「幸」「新」が選ばれています。その理由として、「コロナでも笑顔でがんばれた」「家族や友達といっぱい笑った」「学校に行ける幸せを感じた」「家族と過ごす時間が幸せ」など、いずれもコロナ禍を反映したものでありながらも、とても前向きに捉えており、収束の見せないコロナ禍に閉塞感を感じていた私も背中を押されたように思います。

 何気ない日常にこそ、有難さがある、幸せを感じることが出来たというのは、当たり前が当たり前ではなくなった、不自由な生活になって気付かされたことでしょう。これはまさにこの世が「無常」と説く仏教のみ教え。当たり前なことなんて一つもないから有り難いのです。

 お釈迦様は亡くなる時に、
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。』
(大パリニッバーナ経、中村元『ゴータマ・ブッダⅡ』)

と弟子達に告げたのであります。

 つまり、この世に常は無いということ、移ろいやすいものであるであるから、日々、大切に精進していきなさいと諭されたのです。
 まだまだ先の見えない中でありますが、この世の無常を考えますと、このコロナ禍もいつまでも続くものではないでしょう。

 年頭にあたり、お釈迦様のお言葉、み教えを今一度再確認し、日一日を大切に、お念仏を申しつつ、過ごして参りたいものでございます。  合掌