タンポポとお念仏 平成31年4月

 長い冬も終わりが近づき、春の訪れを感じるようになりました。草花も春が近づいているのがわかるのか、少しずつ芽を出しはじめているようです。
 草取りに追われる夏の頃などは憎たらしいタンポポなどの雑草も、この時ばかりは不思議といとおしく感じてしまいます。
 もちろん、私達人間の勝手な都合で、いとおしく、憎たらしく感じているだけで、タンポポにしてみればいつも通りの姿です。春先は可憐に咲こう、夏には憎たらしく咲こうなんて思っている訳ではありません。
 どのように思われようとも、タンポポにはまったく関係ありません。ときには踏まれるようなこともありますが、ただひたすらに咲くだけです。
このような句があります。
「踏まれても 春来れば咲く 蒲公英(ほこうえい=タンポポ)」
どのようなことがあっても、ひたすらに花を咲かせようとするタンポポの姿そのものを表している句です。しかし、どこかお念仏をお称えする姿に重なります。

 浄土宗を開かれた法然上人ですが、お亡くなりになる前にこのようなお言葉を私達に残して下さっています。
「ただ一向に念仏すべし」
ただひたすらに南無阿弥陀仏と、お念仏をお称えしなさいという意味です。
南無阿弥陀仏とは「どうかお救い下さい、阿弥陀様」という意味です。私たちが南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えすれば、阿弥陀様が必ず極楽へお迎えしてくださいます。
 法然上人は、極楽へ行くために、ただひたすらにお念仏をお称えしなさいと私達にお伝えくださっています。

 日々の忙しさに追われて、ついついお仏壇でのお勤めや、毎日のお念仏を疎かにしてしまう私達です。
ひたすらに花をさかせようとするタンポポは、そんな私達はひたすらにお念仏することの大事さを教えてくれています。