張り過ぎず、緩み過ぎず 令和元年6月

 紫陽花(あじさい)の咲き始める季節。気付けば今年も残すところあと半年となりました。
 日々の忙しさにかまけても、足元に咲く花に目をやる余裕は持ちたいものです。
 本年働き方改革関連法が施行されましたが、日本は他国に比べて労働時間の長い国のようです。長時間労働による過労死が「Karoshi」という言葉として世界に認識されるようになった事がそれを物語っています。
 その一方で、日本には全日本ぐうたら協会というものが存在するようです。その活動方針は「何もしない」というなんとも緩い団体のようですが、ドラえもんのエピソードの中に「日本標準カレンダー」という道具の回があります。ドラえもんののび太君は、1年を通じてこの6月がもっとも不愉快だそうです。その理由は「6月には国民の祝日が一日も無いから」との事。いつものようにドラえもんの道具を使って「ぐうたら感謝の日」という働いてはいけない日を作ってしまいます。
 その結末は、お腹がすいてもお母さんはご飯を作ってくれません。野良猫から魚を奪うも、今度はそれを空腹のジャイアンに奪われます。救けを求めて駆け込んだ交番も当然のごとくお休み。結局我慢できず、元に戻してもらうというお話です。

 お釈迦様のお弟子様の中に、誰よりも一生懸命修行に打ち込んでいるのに悟りを開く事ができず、悟りを諦めようとしていたお方がおられました。
 そのお弟子様にお釈迦様が説かれた説法が、琴を用いた有名な例え話でした。
 琴を弾く時、弦を張り過ぎてはいい音は出せませんし、反対に緩め過ぎてもまた良い音は出せません。強すぎず、弱すぎず、琴と弦の具合をみて、しっかりと調整しなければ本当に良い音を奏でる事はできないというものの例えです。
 私達の日々の暮らしにおいてもまたこれと同じように、肩肘を張って張り詰めすぎてばかりでは、いつか体にも心にも支障をきたしてしまいます。とは言え、緩みすぎて怠けてばかりでは理想とは程遠い自分を作りあげてしまいます。
 そんな自分を省みる事ができる場所というのが、お寺や、ご自宅にある仏壇の前ではないでしょうか?
 お念仏とともに、ある時には息を抜き。ある時には反省をするそんな私達の事を、阿弥陀仏やご先祖様はいつも想って下さいます。
 日々お念仏を称えて頂き、お浄土におられる方々がなるべく心配する事のないよう「張り過ぎず、緩み過ぎず」ご自愛頂ければ幸いです。なむあみだぶつ。