今日の善行は、明日の蓄え 令和元年8月

 「その行いが親切であれ、わかち合え、善いことをしなさい」というお釈迦さまのお言葉があります。
心から相手を思いやり、自分の持っているものを分け与え、人さまに喜んでいただける行いをしなさいというお言葉です。
 北海道全域が停電し暗闇と化した胆振東部地震からもうすぐ1年になります。日本人が災害時にお互いを思いやり助け合う精神は、世界からも称賛されています。しかし、1年前の私たちの姿は本当にそうだったのでしょうか。
地震当日、停電の影響でスーパーやコンビニには電池や食料などの日用品を求める人が、早朝から長蛇の列をなしていました。日用品の買い占めは災害の度に話題になりますが、この時もそうでした。牛乳、納豆、精肉など、物がない棚を見て「早く入れろ!」と苦情を言い、入ったと思ったら買い占めて他の人には譲らない。本当にそんなに必要なのだろうかと思ったことを覚えています。
 そんなことを繰り返しながら約1ヵ月が経った頃、スーパーの棚には大量の納豆、牛乳、精肉などが定価の半額で並べられていました。半額の理由は「賞味期限が近いため」。
「善いこと」に、不殺生というものがあります。命をいただかなければ生きていけない私たちに対し「無駄に命をとらないこと」と、お釈迦さまがお示しくださっております。
 当寺の私たちの行いは、全く逆のものでした。物がないと騒ぎ、買い占め、早く入れろと苦情をぶつけ、挙句の果てには、やっとの思いで揃えてくださった物、作ってくださった物を余して捨てた。
佛さまや、お盆に帰ってくるご先祖さまは、私たちの行いをお浄土からどのような思いで見ておられただろうかと考えた時、ただただ反省の念しかありません。懺悔のお念佛の大切さと、このような私たちでも心から反省すればお許しくださる阿弥陀さまのありがたさを感じました。
 ですが、わずか1ヵ月という短い期間に、私たちの心はこんなにも勝手な思いばかりが湧き出てしまうものなのだと痛感したと同時に、災害という非常時に子ども達の手本になれなかったことに対する申し訳なさが忘れられません。
お盆、お彼岸と続いてまいります。「その行いが親切であれ、わかち合え、善いことをしなさい」このお言葉をいま一度心に刻み、お墓や納骨堂へのお供えを無駄にしないという身近なことから始めてまいりましょう。善い行いは、いずれ必ず自分に返ってきます。