念仏は生きる我が身の教えなりけり 令和元年12月

今年もいよいよ師走を迎えました。皆さんにとって、どのような一年でしたでしょうか?
良い出来事と悪い出来事こと、どちらが多い年だったでしょうか?
仏教をお開きになられた、お釈迦様はではこの世の出来事は「一切皆苦(いっさいかいく)」つまり、すべての出来事は「苦」であると教えてくださいました。
苦とは、自分の思う通りにならないという事です。
例えば、無量寿経(むりょうじゅきょう)というお経の1節には、私たちの心のあり様についてこのように説かれています。
「田畑や家、財産が無ければそれらを求めて悩み苦しむ。しかし、有ればあったで、盗まれないか無くならないかなどと、心配し、管理や維持のために悩み苦しむ。その他のものにしても、皆同じである」。
人や物、お金、健康、どんなものでも「無ければ欲しい。手に入れば放したくない。」と願うのが私たちです。

だからこそ、お釈迦様は、「執着」をしてはいけないと教えて下さったのです。
執着とは「ある人や物事に捉われてそこから離れられない心」「物事に強いこだわりを持つ心」です。
人や物、お金に、どんなに執着しても、それが完全に自分の思う通りになることは無いからです。
執着すればするほど、思う通りにならないものは増え、苦しみも増えてしまうのです。自分さえ良ければ良いと思う心も、どんどん大きくなってきます。執着とはそれほど恐ろしいものです。

しかし、世の中は「強いこだわり」でできています。
便利道具は強いこだわりがあったから生まれたものです。医学の進歩も病気を治したいという強いこだわりがあるからです。おいしい食べ物もこだわりの一品と紹介されます。
良いことも悪いことも世の中は、こだわりという執着があって成り立っています。

ただ、それだけでは苦しくなってしまうのが私たちです。
浄土宗で本尊としてお祀りする、阿弥陀仏は「なむあみだぶつ」とお称えする人の心を光明で照らし出し、心の汚れを取り除いてくださり仏教徒として良い姿を備えて下さる。
そして命終わるときには、心身に一切の苦しみがない極楽浄土に救い取ってくださるとお経の中に説かれています。
一日の中で少しでも、世間から離れた場所である、阿弥陀仏の前でお念仏をお称えし、執着から少しでも離れ時間を作ることで、穏やかな心を持つことが出来るようになるのです。
ただ、毎日お念仏をお称えしても、次々と新たに執着を持ってしまうのが、私たちです。
毎日お念仏をお称えし、自分の心の掃除・点検を毎日行うことが大切です。

どうぞ、共々に毎日のお念仏の生活を続けてまいりましょう。
そして、皆さまにとって、来年がより良い年になることをご祈念申し上げます。
南無阿弥陀仏