希望に満ちた朝日のように 令和元年5月

 今月から新元号となりました。新たなる時代の幕開けはどんなだろうと、まさしく朝日が昇るがごとく、希望に満ちた気持ちではないでしょうか。

「さしのぼる 朝日のごとく さわやかに もたまほしきは こころなりけり」(明治天皇御製)

昇っていく朝日のように、爽やかな心を持ちたいものです。というお気持ちを歌に込められた明治天皇御製のお歌でございます。

 今年95歳でお亡くなりになったうちのあるお檀家のお婆さんが、まだお元気であった7年ほど前に、お参りに伺うたびにこんなことを仰っていました。
「最近楽しくて…、この年になってこんな気持ちになるって、人生分からないものね。」
と、いつも絶やさない笑顔でそれを語って下さるのです。
 そして、離れて暮らしている息子さん夫婦、それにお孫さんがいつも来て下さって、お供えものを買ってきては、お仏壇へお供えし、お参りして下さるそうです。
そのお婆さんは、迷惑かけないように、あえて自ら一人暮らしをしているそうですが、 「その方が気が張って、いいみたい!」と仰っていました。 楽な方へ向ってゆくのは、簡単ですが、それでは駄目だと自分に言い聞かせ、今でも布団の上げ下げもしている
というから、すごいの一言です。
 「仏さまのおかげだね・・・。主人は早く亡くなってしまったけど、今こうして自分が幸せなのは、仏さま、そして主人のおかげ…」と仰るお婆さん。まさに朝日が昇ってくるときのようなその爽やかな心に、私もいつも感心しきりであったことを思い出します。
 
「亡き人のためとて勤む追善は 生ける我身の教えなりける」
こんな御文がありますが、亡き人のために追善回向(私たちのお念仏の功徳を回し向ける)することによって、阿弥陀さまが光明を放ち、救って下さる。そして、そのことによって、私たち自身も日々の励みとなり、心も安らぎ、信心を深めさせていただけるのでございます。
 「人生分からないものね」。どんなに長い夜だって、必ず朝が来るように、私たちの人生におきましても、必ず光の差し込んでくる生活がある。爽やかな朝日のような心にさせていただくことができるのでございます。