心を形に 令和元年9月

 「○○さん!」と先生が呼ぶと、名前を呼ばれた生徒は「ハイ!」と答える。
学校では当たり前の光景です。学校に限らず、様々な場面で私たちは名前を呼ばれると「ハイ」という返事をいたします。でも「ハイ」という返事を漢字で書くと意外と書けない方が多いのではないでしょうか。
 「ハイ」という返事は、漢字で「拝」と書くのです。「拝」という字は「拝む」という字です。また「拝む」という言葉は「折れかがむ」という語からきたという説があります。つまり、私たちの体が「折れかがむ」から「拝む」ということ。
 また「拝む」の語源は諸説ありますが、その一つに、「恩を噛みしめる」というところから、「恩噛む」➡「拝む」となったとも言われております。つまり「恩を噛みしめる」というのは、「お陰様をかみしめる」ということでしょう。ですから、「拝む」ということは、頭が下がった姿。そして、それは「敬う」という心が形に表れた姿ではないでしょうか。
 「親が拝めば、子も拝む、拝む姿の美しさ」という言葉がありますが、まさに頭が下がる姿というものは美しいもの、尊い姿でありましょう。
 『浄土宗ホームページ』によれば、合掌は仏様に帰依する心、感謝と懺悔の心が自然と身体にあらわれたものです。インドでは右手は神聖な手、左手は不浄な手といわれ、その両手を合わせることは美しい心とみにくい心を一体にすることともいわれます。
 合掌するということは、仏様と私たちを近しくさせていただける、祈りの姿である同時に、私たちの心の顕れが形になったものと言えるでしょう。
 昨今は信仰心が希薄になってきていると言われていますが、まずはこの「私」自身が「拝んでゆく」「合掌」する生活をする中で、心の豊かさや美しさが培われてゆくことでありましょう。

合 掌