心がけ一つ 令和元年11月

 雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)というお経の中に、こんなお話があります。
昔、古代インドのある都に二人の仙人が住んでいました。一人は老いていて、もう一人は若かった。老いた仙人は、仏様がもっておられる神通力という超越した力、6つのうち5つを備えていましたが、若い仙人はまだ修行途中で、何の力ももっていませんでした。
 老仙人はいつもその力を使って、世界を自由自在に回り、美味しいものを取ってきては、二人で分け合っていましたが、その度に若い仙人は「自分にもあのような力が欲しい」と思っていました。
 そこで、ある時に「私にも神通力を授けてください」と老仙人に頼み込んだのです。すると老仙人は「厳しい修行をやり遂げれば自ずと備わる。しかし、怠け心やおごり高ぶる心を起こすと力は失われる。力を得てからも努力が必要だぞ」と言い、それでも熱心に頼む若い仙人の願いを聞き入れ、そしてつい若い仙人は神通力を得たのです。
 若い仙人は早速、人々の前でその力を見せつけ、しだいにその噂は広がり、あちこちから人々が集まってくるようになり、「実に愉快だ。ちょっとの間にこんなに有名になり、大仙人になったのだ。俺は若くて力もある。仙人は二人もいらぬ。これからは何でも俺に言うがよい。」といつしか、力を授けてくれた師匠を敬うこともせず、おごりの心を抱くようになったのです。
 そんな姿を見た周りの人々は、ある時、若い仙人に言った。「わしらはお前を尊敬してきたが間違っていたようだ。並みの人間でも年配者を大切にしているが、自分の師匠をそしり、敬うことが出来ないのは許せない。」と人々が言い終わらないうちに、若い仙人の神通力は力を失ってしまい、その後、この都で若い仙人の姿を見かけた者はいないと言います。
 このお話は、お念仏をお称えする私たちの心がけにも同じく言えることです。誰もがお称えすることが出来、等しく救われてゆくことが出来るのは、阿弥陀様のお力にほかなりません。ただ、ただ、ひとすじに「なむあみだぶつ」とお称えしてゆく、心がけを忘れてはなりません。

合掌
(文責:長尾晃行)