日々の安心 令和2年1月

 新年明けまして、おめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
 新年を迎え、一年の始まりにあたって、お寺や神社に詣でたり、めでたいとされている初日の出を拝む様子がニュースなどで報道されているのをよく拝見いたします。
 
 初日の出を拝むということは、 四方拝 という宮中で 天皇 が天地四方の 神祇を拝し、五穀豊穣や一年の無事を祈る祭祀が始まりとされ、それが庶民の間に広まり、全国的に広まりを見せたのは明治以降のようですから、歴史としては浅い方かもしれません。

 また、初日の出を拝む光景でよくあるのが、山頂から拝む「御来光」ではないでしょうか。御来光は山頂から尊いものとされる日の出を拝むことを言い、「もともとは 御来迎 (ごらいごう)と書いて,山頂近くの雲に自分の影がうつされると,色の付いた光の輪を背負った仏の像に見えることをいったものという」(『世界大百科事典』より)とあるように、現在では「御来光」と「御来迎」は同じ意味で使われ、初日の出に限ったものではないのです。その日、一番に登ってくる朝陽の様子を仏様のお姿と重ね合わせたのでしょう。

 しかし、本当の意味の「来迎」(浄土宗では「らいこう」とお読みいたします。)とは、生きとし生けるすべての命を正しくお浄土に導くために来迎することを言います。つまり、阿弥陀様や菩薩様がお浄土より、わざわざ「お迎えに来て下さる」ことを言います。

 仏様の「来迎」はなかなか身近に感じることは出来ないかもしれませんが、真っ暗闇から白々と夜が明けて、朝陽が差し込んでくるとどうでしょうか。
一気に温かさが増してきて、眩いばかりの光に照らされて「さぁ、今日も一日頑張ろう!」という気持ちにさせていただけるのではないでしょうか。

 仏様の来迎も同じ。阿弥陀様を信じて、お念仏をお称えしていれば、私たちの命が終わる時、必ずお浄土からお迎えに来て下さるのです。人としての命が終わって、真っ暗闇に沈んでゆくのではない。温かみのあるお浄土に、親しい方がいらっしゃるお浄土へ必ず救われてゆくのです。そして、今のこの世においては目には見えないけれども、必ずお念仏を申す私たちを導いて下さっていますので、安心して日々の生活を送りたいものです。

合掌