極楽浄土の様子 令和2年10月

先日インターネットで興味深い記事を見かけました。「楽しみな予定があると仕事の効率が上がる」というものです。
医学的には賛否があるかもしれませんが、実感として「そういうことは確かにあるかな」と私は感じました。
ただ残念なことに、この世は「一切皆苦」思うとおりにならないこと(苦しみ)に必ず出会う場所です。楽しみに思っていた予定でも、その時が来てみると、思う通りに行なく、嫌な思いをしてしまうことも多くあります。

一方で、私たち念仏者が来世、阿弥陀仏にお導きいただく場所、西方極楽浄土は、どんな人にとっても「一切の苦しみがなく、ただ楽のみある場所」だとお経の中に説き示されています。
例えば、極楽浄土の住人は、「性別、背の高さ、顔立ち、肌の色など、姿形に違いがなく、皆が平等に健康で強靭な身体を得ることができ、仏様の教えを一度聞けば理解できるほど、平等に頭脳明晰なので、その優劣に苦しむことがない。」また「衣食住をはじめ必要な物は、願えば、必要なだけすぐに目の前に現れるので、これらに執着し苦しむこともない」とお経の中に説かれています。
私たちはこの世で、これらの優劣について常に思い悩み、人を妬み、怒り、時に愚かな行動をしてしまいます。
お浄土では、そもそもその優劣がないので苦しむことがない。
住人は互いに敬いあっていて、「目、耳、鼻、舌、身、心」で感じるもの、全てが言葉で言い表すことができないほど美しく心地よい。そして場所にいるだけで心が清められ自然と覚りへ段階が進む、それほど尊い場所なのだと説かれています。

「一切の苦しみがなく、ただ楽のみある場所」
このように阿弥陀仏様は極楽浄土をお創り下さいました。これほど、尊い場所にお迎えいただくためにお称えするのが「なむあみだぶつ」お念仏なのです。
これほど尊い場所だからこそ、縁ある方々がそこに無事生まれ変わってくださるようにも、お念仏をお称えさせていただくのです。
私たちは、望まなくてもいつかこの世から旅立たなくてはなりません。しかし念仏者の向かう場所は、一切の苦しみがない場所であります。
そんな信仰の想いが、一切皆苦の、この世の歩みの支えになってくれるはずです。

『念仏の 杖でくらしの 坂もぼる』

苦しいことに出会う毎日ですが、極楽浄土の尊さに想いを馳せながら、共々に毎日のお念仏、お称えしてまいりましょう。

合掌