天下人とお念仏 令和2年12月

 今年も早いもので残り一ヶ月となりましたがいかがお過ごしでしょうか。十二月になると様々な寺院で仏名会(ぶつみょうえ)という法要が行われます。

浄土宗においての仏名会は、一年の間に積もり積もった自分の罪を見つめ、南無阿弥陀仏とおとなえをして、犯してしまった罪の報いを消しさり、極楽往生を願うための法要です。

 この世に生きる全ての人は煩悩をもっています。煩悩がある以上過ちを犯し、罪をつくり続けていくのです。例えば生き物を殺すこともそうですし、嘘をついたりお酒を飲むことも仏教では罪となります。だからこそ、地位・名誉・立場など一切関係なくすべての人は、自分の犯してしまった罪を見つめなければいけません。
天下人として有名な徳川家康ですが、実は浄土宗の信者であり、熱心な念仏者として、自らの罪を見つめ、日々念仏をとなえていたことはあまり知られておりません。
 戦乱の時代を治め、二六〇年余りの平和な時代の礎を築いた家康ではありますが、多くの犠牲を伴ったことも事実です。自らの罪の深さや愚かさを見つめ、阿弥陀さまにおすがりするほかに救いがなかったのではないでしようか。
浄土宗の大本山、増上寺には安国殿(あんこくでん)というお堂がありますが、安国殿という名称は家康の戒名である安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士が由来なのです。
 その安国殿には家康が出陣の際に肌身離さず戦場に持ち歩いたと伝えられている黒本尊阿弥陀如来像(くろほんぞんあみだにょらいぞう)が安置されています。連戦連勝の家康にあやかるために家康亡き後も手を合わせる人が後を絶たず、人々のお焼香の煙で黒くなったことから黒本尊阿弥陀如来と言われているそうです。家康はその黒本尊阿弥陀如来像の前で何遍も何遍もお念仏をおとなえしたことでしょう。
 事実家康は、一日に六万遍ものお念仏を日課としていました。また家康自らによって書かれた念仏の写経がのこされていることからも、その信心に偽りはありません。
 天下人であってもそうでなくても例外なく、人は煩悩に振り回されてふりやまない雪のように日々大なり小なり罪を積もらせていくのです。雪が積もったら、積もった分だけ雪かきをしなければなりません。同じように罪をつくったらつくった分だけ罪の掃除をしなければならないのです。自分ひとりではかかえきれない罪を阿弥陀さまの前でさらけだし、家康と同じように日々お念仏をおとなえし、罪の報いを消し去り、一切の苦しみのない極楽浄土を目指して一日一日を大切に生きていきたいものです。

合掌