マメな一年を 令和3年2月

 2月になり、二十四節気では立春を迎えますが、北海道の地ではまだまだ雪深く春遠しというところでしょうか。
 さて、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことを節分といい「季ける」ことも意味しています。
 江戸時代以降は立春の前日を節分と指す場合が多く、この時期に『節分会』や『追儺(ついな)会』を厳修する寺院も多いです。
 『節分』と聞くと豆まきをし、最近は恵方巻きを食べる年中行事の一つとして各ご家庭でも行っている方もおられるでしょう。
それでは『追儺』と聞くとすぐには意味がわからない人もいるのではないでしょうか。『追儺』とは本来、宮中での年中行事で旧暦の大晦日に、鬼(病気や災いをもたらす神)を追い払う行事が行われていました。「続日本紀」には、慶雲三年(七〇六年)には諸国に疫病が蔓延し多くの死者が出たので大いに「おにやらい」したと記述が残され追儺の儀式が行われたことが残されています。
さて、昨年、新型コロナウイルス感染症が流行し、この疫病は日本のみならず世界へ拡散をしました。日本の歴史を見ても度々疫病との戦いがあり、その昔、疫病は超自然的なものに原因を求める考え方が一般的でした。日本では、時の天皇が奈良東大寺に仏像を建立したり、百万遍のお念仏を勅命したりと神仏へその終息を願いました。海外では病気の流行は神の怒りや誰かの祟りであるとして、神にすがるほか、魔女の仕業とも思われ、魔女狩りが行われ、誰かのせいにしたり、犯人捜しが起きていたようです。
現在は科学や医学が発達してウィルスの存在や感染対策を講じることも出来るようになりましたが、昔と変わらないのは感染症が発生したら、犯人捜しが起きてしまうことは悲しいことです。この感染症は私たちの心までも病に侵してしまうのです。先ずは罹患した方を気遣い不安を少しでも和らげてること、自身や周りの方々が罹患しないように注意を払うのが大切なことです。
心まで病に侵されない方法は私たち一人一人が「今自分に何ができるのか」自分の心に問いかけることでしょう。しかし、中々自分一人では立ち向かうことは難しいことです。仏教では私たちの心には煩悩と言うものがあり、貪欲で、感情の抑制が効かなく、自分勝手な身であるとお説きになっております。その様な我が身を制してくれるのが、仏さまのお力の一つではないでしょうか。ご自宅の仏壇の前で心を静め、阿弥陀様に手を合わせ、お念仏をお称えしてみてください。きっと皆様の心に問いかけてくれるはずです。
どうぞ、これから訪れる春の息吹と共に新たな季節を魔滅(まめ)に過ごし、日々の生活を大切にして参りましょう。 十念