皆様は6月には「父の日」という日があるのをご存知でしょうか。母の日に比べ、少し注目度が低い日かもしれませんが、この父の日を機会に父親、または親という存在と自分自身がどのような関係なのかを今一度目を向け、考える大切な機会としていただければと思います。
父親がまだご健在の方、またはお浄土へと往生された方もいらっしゃるでしょうが、皆様にとって、父親とはどのような存在でしたでしょうか。穏やか、頑固、優しい、厳しい、人によって様々な思い出をお持ちのことでしょう。
また自分が歳を重ねたからこそ気づくこともあります。優しい姿も、厳しい姿も全ては我が子が健やかに幸せに育ってほしいと思うからこそなのだということです。
この親が子に対する思いというものは、私達が信仰している阿弥陀仏が私達に対して向けてくれいる慈しみの心に深く通じているのです。
私達は日々の生活の中で、うらやんだり、怒ったり、愚痴をこぼしたりと、自分で意識していなくても知らず知らずのうちに様々な煩悩にまみれて生きています。
阿弥陀仏は、そんな煩悩まみれの私達でも見捨てぬと誓ってくださったのです。
「どんなに煩悩にまみれていようが、間違いを犯す事があろうが、私、阿弥陀仏は誰一人として、決して見捨てる事はない。ただ『南無阿弥陀仏』と私の名を呼びなさい。必ず極楽浄土へと救ってあげますから」と、これが阿弥陀仏の「お念仏の誓い」です。私達の父親が、私達が生意気に悪態をついても、逆らっても、または道を踏み外しそうになっても、時に厳しくもあり暖かく、我が子を信じて守ろうとしてくれたように、阿弥陀仏も親が我が子を思う姿と同じく、深い慈しみの心で私達を包み込み救ってくださるのです。
父親がご健在の方はこれから先の事を思い、また父親がすでにお浄土へ往生されている方はお浄土にいる父親の事を思いながら、南無阿弥陀仏とお称えください。
私達が称えるお念仏の声に乗った思いは、お浄土の阿弥陀仏や父親の元へ届きます。南無阿弥陀仏とお念仏を称える事で、私達はいつでも、どこにいようとも、阿弥陀仏とそして父親と深くつながっていられるのです。
「救ってください。」「救ってくださってありがとうございます。」という思いで南無阿弥陀仏とお念仏を称えましょう。そうすれば、その声が、父親への何よりの父の日の贈り物となるのではないでしょうか。