明るく 正しく 仲良く 令和2年4月

 「おじさん途中まで一緒に歩こう。」「わかったよ。一緒に歩こうね。」これは毎日交通安全指導員として通学路に立っているおじさんと子供たちの日常の会話です。長年子供たちを見守り続けていると、毎年この時期に子供たちの成長を感じるといいます。入学してすぐの頃は上級生に手を引かれ、あとをついていく1年生です。通学途中でトイレがしたくなり、おじさんが近所の家に連れて行きトイレを借りることも度々あったような男の子、その子が2年生になると今度は頼もしくも新1年生の手を取り、学校まで兄貴風を吹かせながら歩いていきます。毎年この4月に感じる子供の成長だといっておじさんは笑います。
 現代では新年度となるこの4月、その7日に法然上人はお生まれになりました。上人のお母さまは、剃刀を飲む夢を見て懐妊を確信されたといいます。お父さまはそれを聞き、「おなかの子はいずれ日本の民を導く戒師となるだろう」とおっしゃいました。戒師というのはお坊さんになろうと志す者に入学資格を与える指導者のことです。剃刀はお坊さんになるために髪を剃る出家の象徴なのです。実際に法然上人は36歳にして当時の仏門の最高峰である比叡山の戒師という指導者になられました。お坊さん1年生として入学させる先生になったのです。
「戒」は人格を向上し覚りに向かうための自発的な意思です。仏さまを信じ、教えを学ぶ仲間に共通する道徳です。日本人は古来よりこの「戒」という仏教道徳によって日本的国民性を養ってきました。その精神はいつしか一般道徳となり、わかりやすく「明るく」「正しく」「仲良く」と表現されてきました。正しい行いをしてみんなが力を合わせ、明るい社会を実現するという当たり前のことになります。しかし最近はこの当たり前のことができにくい世情でもあるようです。それでも毎年入学の新1年生は、一般道徳として根付いた「明るく」「正しく」「仲良く」することを学校生活の中で学び、頼もしく成長した上級生の先輩さんを手本にして健やかに育っていくのです。
 大人の事情を抱える私たちも1年生のように素直に正直に「明るく」「正しく」「仲良く」することを思い出し、実践することに努めましょう。しかし力なく、思うに任せぬ愚かな自分を思う時、この身に唯一の救いとなるのが、「阿弥陀仏」のお力にすがるお念仏なのです。