素直な心 令和8年1月

江戸三大俳人の一人、小林一茶の俳句に
「正月の 子供になって 見たきかな」というのがあります。
これは、正月を無邪気に楽しく過ごす子供たちと、
老境した一茶の心境の対比が描かれています。
 
私たちはみんな子供から大人へと変わっていきます。
しかし、本当に「変わった」のでしょうか。
みんな子供の時は、目が光り輝き、無邪気で、
物事を素直に受け止め、悪いことをしてしまったら、
「ごめんなさい」と謝ることが出来ていたと思います。
大人の私たちは、どうでしょうか。素直に「ごめんなさい」と言えず、
人のせいにすることで、自分を守ろうとしたり、
自分の失敗を、自分が原因として認めずに逃げたりしてはいませんか。
子供の時は素直であった心を保つことができないのが
大人の私たちなのではないでしょうか。
子供であろうと、大人であろうと今も昔も大事なことはいつも変わりません。
子供のように素直に受け止め反省する心は、大人である私たちも
いつまでも持ち続けたいものです。

お念仏を称える心持ちとして「至誠心」というのがあります。
「至誠心」とは簡単に申しますと「偽りのない素直な心」であります。
浄土宗を開かれた法然上人の御法語前編の第三章の一文に
「内外ともにかけて一文不通なるが
 称うれば必ず生まると信じて、真実に願いて、
常に念仏申すを最上の機とす。」

(仏典と仏典以外の書物のいずれについても文字一つ知らない人が、
〈お念仏を称えれば必ず阿弥陀さまがおられる極楽浄土に往き生まれる〉
と信じて、いつわりのない心で願い、常にお念仏をお称えする、
そうした人をお念仏の救いの最適の対象者とするのです。)
と書かれております。
阿弥陀ほとけさまのお念仏の教え
「お念仏を称えた者は、必ず極楽に往生する。」
これを信じて疑わず素直な心で受け止め、お念仏に励んでいきたいものです。

( 2025年12月31日 )

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