すべてを受けとめてくださる阿弥陀さま 令和3年12月

 今年もあと数日を残すところとなりました。この師走の時季になると、毎年噛みしめたくなる句があります。「ともかく あなたまかせの 年(とし)の暮(くれ)」(一茶)。
長いようでもあり、短いようでもある一年、うれしい出来事もあれば、悲しい事柄もあります。この一年を振り返れば、喜怒哀楽こもごもです。泣いたり笑ったりする私たちを、あるがままに受けとめてくださるお方が、阿弥陀さまです。
 お念仏者である一茶は、次のような句も残しています。「露の世は、露の世ながら さりながら」愛しい我が子を亡くした痛切な悲しみが、伝わってきます。露のように儚(はかな)い世の中だとは知りつつも、我が身に降りかかったこの度の出来事に、ただ呆然としている姿が「さりながら」の一言に尽くされていると感じます。
私たちは、いかんともし難い世の中を生きています。涙なしでは生きられないこの世ではありますが、阿弥陀さまの光に照らされながら、お念仏を杖(つえ)・柱(はしら)としてお浄土への道を歩んでいく生き方がお念仏者の姿です。
 一茶は、阿弥陀さまのことを「あなた」と呼んでお慕いしています。阿弥陀さまは、西方十万億(さいほうじゅうまんのく)のはるか遠くの彼方におられる如来さまです。果てしなく離れたところにおられる方を、あたかも隣に親しくおられる方のように「あなた」とお呼びし、この一年の涙の自分も笑顔の自分もすべて阿弥陀さまにあまかせして、歳末に臨む一茶の健気でありながら、芯のあるしなやかな生き方が垣間見えます。
 阿弥陀さまにおまかせするには、お念仏がもっとも勝れた行いです。お念仏とは、南無阿弥陀仏と声に出してお称えすることです。お念仏を称えたから幸せになるのではなく、お念仏を申す暮らしの中から、本当の幸せが見えてくるのです。
 また、お念仏によって苦しみやがなくなったり、悲しみが消えるわけではありません。苦しみや悲しみという事実は変わらないけれども、その事実の捉え方や趣きがお念仏を申す日々において変化するのです。
お念仏者にとって、人生の悲しみは無駄ではなく、その悲しみを通じてはじめて本当の幸せを感じられる機会となるのです。
それは、阿弥陀さまが私たちを大いなるやさしさで受け止めてくれているからこそなのです。