あけましておめでとうございます。
新しい年の始まりとともに、今年は「いままでとは違う世界が見てみたい。自分の世界を広げてみたい」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
旅に出たり、新しいことに挑戦したり、それまとは違う体験をして気分転換をすることは、心の健康を保つためには必要なことだそうです。
また、悩みや心配事に頭を悩ませているときにも、一度その問題から離れて、気分転換することで、それまでは気が付けなかった、解決方法や落としどころに気付くことができるものです。
しかし、忙しい日々に追われ、ついつい目の前の物事にとらわれ過ぎてしまうと、「一生懸命」から「執着」へと物事への向き合い方が変わってしまうことがあります。
一生懸命に取り組むことと、執着することには、大きな違いがあります。
何かを決意して一度歩き始めたなら、一生懸命に努力し進む姿は素晴らしものです。その姿は周囲の人へ勇気を与えることもあると思います。
しかしそれが、行き過ぎて執着へと変わってしまうと、だんだんと自分さえよければ、自分の願いさえ叶えばと考えるようになり、自分の行動で周囲の人が苦しんでいても、それに気が付くことさえできなくなってしまうのです。
執着とはワガママな欲望の心なのです。
執着は、必ず自分自身の苦しみの原因ともなります。
お釈迦様は、「どんな苦しみも、すべて執着によって起るものである」とおっしゃられ、心穏やかに人生を歩むためには、執着を捨てなさい、手放しなさいとお教えくださっております。
近年でも「断捨離(だんしゃり)」「ミニマリスト」などの言葉で、「執着の原因となる、人間関係や物と別れる」というお釈迦様の教えを元とした言葉をお聞きになる機会は多いと思います。
しかし、自分の力だけでは、執着を捨てることができないのが、私たちの心です。
それどころか、人や物、場所、地位、過去の栄光など、何事にも執着してしまいます。執着しては、ダメなのだと分かっている物事でさえ、自分の意思でなかなか離すことができません。
そんな、私たちにもできることは、お仏壇の前に座り「南無阿弥陀仏」と声に出して称えることです。「助けてください、阿弥陀仏」という思いを込めて、お念仏の行をすることによって、阿弥陀様がお救いくださいます。
現世では、阿弥陀様が放つ慈悲の光を頂くことで、一時的に執着の心が静まります。
そして、この命が尽きれば、来世は、一切の苦しみない西方極楽浄土に阿弥陀様のお力で生まれさせてくださいます。
その結果、身も心も穏やかになり、他者を思うやる心が生まれ、自他の苦しみを取り除き、自分にも他人にも喜びを与えることができるのです。
相手に対して思いやりのある言葉や柔らかい表情を送ること、できる範囲で他人のための行いをすることが自分の幸せにつながるのです。
コロナ禍で、旅に出たり、新しいことに挑戦したりといったことは、まだ少し難しい状況ですが、毎日お仏壇に向かいお念仏をお称えし、信仰の心を深めていく、新たな歩みを勧めてみてはいかがでしょうか?
皆様がこの一年、お念仏の御教えと共に、幸せな一年をお過ごしくださいますよう、ご祈念申し上げます。
合掌