長かった冬も終わりが見えてまいりました。木々の芽を見れば少しずつ膨らんでいて、少しずつですが春の訪れを感じさせてくれます。
3月21日の春分の日を中心とした、7日間は春のお彼岸です。
お彼岸は、太陽が真西に沈む春は「春分の日」、秋は「秋分の日」を中心として、定められている仏教徒の修業期間です。
仏教修行のひとつに、「日想観(にっそうかん)」というものがあります。
沈む太陽の方向に、来世私たちが目指す、極楽浄土を思い描く修行方法です。
浄土宗では、極楽浄土を想いながら、声に出して「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えいたします。
太陽が去っていく方角に、私たちの来世行く先を重ねて、想いを馳せるのです。
静かな心で夕陽を見つめることが、自身の内面と向き合うことにもつながるため、日想観は僧侶のみならず、一般の人々にも広まりました。それは、この修行法が時と場所を選ばずにできるというだけではなく、空を朱く染める夕陽が、私たちに多くのことを考える時間をくれるからです。
この、日想観が最も盛んに行われていたのは、平安末期(1068年~1185年ごろ)であったといわれています。10円硬貨に描かれる、「平等院鳳凰堂」もこの時期に建てられており、日想観の様子が扉に描かれています。
この時代は、戦が多く、地震、飢饉などの天災も頻繁に起こり、疾疫も流行しており、世の中は荒廃していました。
人々は、終わりの見えない苦しみの日々の中で「来世行く先は、幸せな場所であるように」「日々を少しでも心穏やかに過ごせるように」と願い日想観を行っていたことでしょう。
現代の日本は、平安末期と比べれば、戦に巻き込まれる心配もなく、はるかに安全で豊かな場所です。
しかし、私たち1人1人の心の中にある、悩み苦しみは、平安時代と同じようになくなってはいません。戦や飢饉がなくとも、思い悩む対象が変わるだけで、私たちの心から、苦しみが無くなることはないのです。
現代の私たちにも、「自身の内面」や「私の命」について真摯に向き合い考える時間が必要なのです。
ただ、そういったことを考える時間さえないほど、毎日はあわただしく過ぎてしまいます。
そんな私たちにとって、今度のお彼岸は良いきっかけとなるはずです。
縁ある人のご供養に、お墓の前や、お寺の本堂、日常とは少し離れた場所で、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えする、そのような時間を持ってみてはいかがでしょうか?
「供養」という言葉は、「「人」と「共に」「養う」」と書きます。この場合の「人」は「ご先祖様や先にこの世から旅立たれた方」です。「ご先祖様」と「一緒に」、「養う」のは「自分の心」です。
自分の命や内面と向き合うこと、とても大切なことだけれども、中々時間を作れないあなたに、ご先祖様や縁ある方々が、時間を作るきっかけをくれているのです。
手を合わせ、命のつながりに考えるひとときに、養われているのは自分自身の心なのです。
「お参りに行ってあげた・してあげた」とは思わないで下さい。お墓やお仏壇、菩提寺があることで、ご先祖様と一緒に、自分の心を養う時間を持たせてもらっている、「共に養う時間をもらっている」という気持ちで、手を合わせお念仏をお称えすることが出来れば、少しだけ心が明るく前向きに変わるかもしれませんね。
合掌