続けていく 令和4年10月

先日5歳の息子と一緒にお風呂へ入ると、彼はおもむろにシャワーを浴びながら合掌して目を閉じた。
「何をしているの?」と私が聞くと、彼は「しゅぎょー」と答えた。
そんなことを教えた覚えは無いのだが、テレビやタブレット(YouTube)などから得た知識のようである。
現代人がスマホやタブレット、テレビ・ラジオなどから1日に得られる情報量は、平安時代に生きた人の一生分に相当すると、あるテレビ番組で聞いたことがあるが、現代に生きる彼もご多分に洩れず、色々情報を得ているようだ。

続けて彼はこう聞いてきた。「お父さんもしゅぎょーしたんでしょ?」
私:「ん~修業はしたけど滝に打たれてはないなぁ~。」
息子:「じゃあ棒で叩かれたの?」
私:「棒で叩かれてもないよ。」
息子:「じゃあ何をしていたの?」
私:「ず~っとなむあみだぶつとお称えしていたよ。」

すると彼は目を丸くして、「え~っ!ずいぶんかんたんだねぇ~!」と口にした。

お念仏をお称えすることは簡単で易しいかもしれないが、それを続けていくことは中々大変だ。我々凡夫には怠け心があるからだ。
彼は食事の時に、浄土宗の食前の言葉と食後の言葉を読み、お念仏をお称えしていたが最近それを怠っていた。

「お念仏を声に出してお称えすることは簡単で易しいかもしれないけど、毎日それを続けるのは中々大変だよね。」と彼に告げた。

お風呂上りの夕飯時、彼の元気な声が聞こえてきた。

「われここにしょくをうく、つつしみて てんちのめぐみをおもい そのろうをしゃしたてまつる 
どーしょーじゅーねん!… なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ…。」

今度はいつまで続くかな?
そんな息子の姿を見ながら、私自身も怠ることなくお念仏を続けていく。

法然上人の一紙小消息に、
『行は一念十念なお虚しからずと信じて無間に修すべし。一念なお生まる、況や多念をや。』とのお言葉があります。
訳:『行については「一遍や十遍の念仏でも必ず実を結ぶ」と信じながら、絶え間なく称えなさい。一度の念仏でさえ往生します。まして多く念仏する者はいうまでもありません。』

共にお念仏をお称えしてまいりましょう。なむあみだぶつ。