「日常」というありがたい日々 令和4年12月

 十月四日の朝、北海道の私達の町にもけたたましいサイレンの音が鳴り響きました。Jアラートで北朝鮮からミサイルが飛んできたからです。
 私達の家族は朝食を食べていました。新幹線や飛行機などの交通機関は止まり、多くの人々の足が止まりました。しかし人々の生活はさほど変わりませんでした。私達は何事も特に起こらないこの日常、それが「あたりまえ」だと思い日々を過ごしているのではないのでしょうか。

 昨今の世の中、とても穏やかなものではありません。新型コロナウイルスが蔓延し未だに収束しません。今年の2月からのロシアによるウクライナ侵攻の争いは未だに終わりが見えません。日本、アメリカ、韓国と北朝鮮の軍事対立によって飛んでくる多くのミサイル。7月には安倍晋三元総理の銃撃事件。
オリンピック委員や政治家の汚職事件や、旧統一教会による献金問題。
円安による物価の高騰。さらには、台風、長雨による豪雨、地震などの自然災害。
乱れに乱れ、荒れに荒れる世の中。しかし私達がいまこうして生きているのは、とても有難いことです。いまあるこの命を「有難い」と思わず「あたりまえ」と思って日々の日常を月日の流れるままに過ごしてはいないでしょうか。

 「感謝の心が乏しいと どんなに恵まれていても 幸せを感じない」
普段、何事もなく暮らせているのは、とても有難いことです。今一度この日常が幸せであることを噛みしめるべきです。そしていつ何があるのか分からない世の中だからこそ、私たちが出会うことができたお念仏の教えを今一度大切にしていきたいものです。

 お念仏は、この世でどんなことがあったとしても心をこめて南無阿弥陀仏とお称えすれば、阿弥陀さまは苦しみや悲しいことのないお浄土に必ず往生させてくださいます。浄土宗を開かれた法然上人は、お念仏を称えたならば阿弥陀さまは必ず救い取ってくださるからこそ、生涯お念仏を称え続けなさいと教え導きくださいました。

 いまある日常は、あたりまえのことではなく有難いことです。
そしていつ何があるか分からない世の中だからこそ、阿弥陀さまに私達を見守りお救いくださいと、心をこめてお念仏を称え、一日一日が無事平穏に過ごせることは有難い事と、日々感謝の生活をしていきたいものです。
合掌