愚にかえる 令和6年7月

 7月3日に新札が発行される。
 偽造防止やタンス預金のあぶり出しなど、様々な狙いがあるらしいが、ATMや自販機の改修で消費者への負担が増え、何ら良い面が無いようにも思われる。また新札発行の度に、円安の影響もあるのかもしれないが、お金の価値・重みが無くなってきている様に思うのは私だけだろうか。
 還暦を過ぎた私にとって最も価値・重みがあったと思うお札は、聖徳太子の一万円札である。
 ご存じの通り聖徳太子は、官僚の心構えを説いた十七条憲法を制定し、儒教や仏教の教えによって国を治めました。十人の話を同時に聞き分けたという逸話が残るほどの天才です。
 そんな聖徳太子の制定した十七条憲法の第十条には

「人みな心あり。心おのおのれることあり。のはすなわちのにして、我の是は彼の非なり。我必ずしも聖にあらず。彼必ずしも愚にあらず。ともにこれのみ。是非の、たれかよく定むべき。相共に賢く愚かなることのなきがごとし。」
( 人間というものは、みなそれぞれ自分の考えをもっているものである。だから相手が正しい時には、自分がまちがっているわけであり、自分が正しい時には相手がまちがっているのである。したがって自分は必ずしも賢くはなく、相手が必ずしも愚かではなく、お互いにただの凡夫でしかないわけである。かくして正しいということと、あやまりということの道理を、いったい誰が決定することができるであろうか。お互いに賢く愚かなことは、輪になった耳かざりの端がないようなものだ )

とあります。天才聖徳太子でさえ、お互いに(ぼんぶ)、愚かものであるということを、深く自覚することが大切だと記しているのです。浄土宗を開かれた法然上人も、比叡山では「智慧第一の法然房」「深・広の法然」と言われながらも、自らを「十悪の法然房、愚痴の法然房」と嘆かれました。
 自ら(自国)だけが正しいと世界のあちこちで戦争が起きている現代。またその戦争を後押ししたり、戦争放棄と謳いながらも武器を輸出しようとしている愚かな国。
 今こそお互い「凡夫」「愚」ということを深く自覚することが大切であり、そういう立場に徹してこそ人間のあやまりを正すことができ、真の社会平和に繋がっていくのではないだろうか。