今年こそは忘れずに 令和7年1月

 旧年は、この浄土宗開宗850年を迎えた年となり全国各地で慶讃法要が行われていました。
 850年という時を刻み受け継がれていると同じく私たちの命も同じように受け継がれていることと同じです。
 両親から命をいただき、その両親もまた親から命をいただき今の私たちの命がある。生活することに最も大事かもしれないお金を使っても授かることができない命であるにもかかわらず、その方々との関係が希薄になってしまってはいないだろうか。
 お正月、春のお彼岸休み、お盆休み、秋のお彼岸どれだけの人がご先祖様と向き合っているだろうか祝日となっているのにどれだけの人が向き合っているだろうか・・・。
 人の心というのは慣れ、忘れてしまうものです。
 おいしいと思っていた食べ物も毎日食べ続ければ味に慣れ、景色が素晴らしいと思って生活しても毎日見ていると普通になり感動を忘れてしまいます。
 令和7年元旦、新しい年を迎え今年の抱負!と意気込んだことでしょう。では、去年の抱負は?一年生活して結果は?・・・忘れてしまっていないでしょか?
 大事なこと、幸せであること。命の重さ大切さを思い出させてくれるのが仏事であるからこそ春秋に祝日がありお盆にもお休みになると私は思っています。
 産れた時から一度も仏事に触れたことがない人は少ないと思います。年を重ねていけば恥ずかしさや慣れ、自分の生活、仕事の忙しさで供養という心が薄れてしまっているだけではないでしょうか?表に無くとも私たちの心の奥には仏心が息をひそめています。
   
「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
全ての衆生に仏性が内在する。成仏の可能性がある。
そうすれば仏は尊い存在ではあるが親子関係ようであり同士でもあります。
 
 衆生仏を礼すれば仏これを見給う
 衆生仏を称うれば仏これを聞き給う
 衆生仏を念ずれば仏衆生を念じ給う

仏にどんなに思われていても私たちの心が向いてなければ片思い両想いにならなければ生れながらに決まっている死という苦しみの先に進むことはできません。身、口、意の三業を一致させなければなりません。
仏を礼し(身)念仏を称し(口)心を信念す(意)
お念仏は声に出してお称えすることが大事ですが自分の耳に聞こえる程度でも高声の念仏に入ります。
人間、誰しも忘れてしまったり面倒になったり怠けてしまうものであるからこそ凡夫であり、その姿のままお念仏をしてもよいと法然上人はおっしゃいました。そして、いつでも、どんな時どんな場所で実践できるお念仏を伝えてくださっています。そのままの姿で大丈夫です。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・お称え下さい。

天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 
国富民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修禮譲

近年、世界各地で戦争が終わりを迎え、国内外で大震災や思わぬ災害が起きない平穏な一年でありますように。
南無阿弥陀仏