笑顔の施(ほどこ)し 令和7年7月

 江戸中期の名僧良寛は、幼名を栄蔵といった。
 良寛は七つ八つの子供の頃、叱られると上目づかいで人を見るくせがあった。
 あるとき寝坊し、父親に叱られいつものように上目づかいでじっと見ていた。
 これを気にしていた父親は「親をにらむやつは鰈(かれい)になるぞ」と言った。
 当時の越後の子守唄にも

 鰈かわいや、背中に目鼻
 親をにらんだ その罰(ばち)だ

 というのがあったのである。正直者の良寛はそれを本当だと思っていた。
 私なりにこの唄について想像してみた。
昔、鰈は普通の魚と同じように左右対称に目が付いていた。
しかし、高校生で「カレイ子」という女の子がいた。スマホをいじり、勉強もせず遊んでばかりいた
カレイ子だったが、最新型のスマホが欲しくなり、父親にそれをねだった。

カレイ子 「ね~ね~お父さん。新しいスマホ買ってよ!」

父 「何言ってんだ。今のもそんなに古くないじゃないか。だいたいスマホばかりいじって、
   ろくに勉強もしないで、成績だって赤点ばかりじゃないか!
   新しいスマホなんて買ってやらんぞ。」

カレイ子 「い~じゃな~い。友だちみんな新しいの持ってんだも~ん。買ってよ~!」

父 「ダメ・ダメ。絶対買ってやらん!」

 カレイ子はそれから一ヵ年以上も父に、ふくれっ面で、上目づかいをしたため、目が横にずれてしまったのである。以来鰈は横に目が付くようになった。(あくまで私の想像です)

 仏教には和顔施(わげんせ)がある。(やさしい笑顔で接すること)
 お金もかからず、たとえ寝たきりの人でもできる布施である。
 布施とは常に相手を思いやる気持ちの表れであろう。
 争い事や自分の事しか考えていないような昨今であるが、布施の精神を忘れず、生きていきたいものである。