お盆の起源 令和2年8月

 地域によって違いがありますが、今年も「お盆」の季節になりました。
『お盆』は、自分に縁のある方をお迎えしご供養する、先に旅立たれた人達のためだけに祈る期間だと思われがちですが、改めてその起源を考えると、別の一面が見えてきます。

 お盆の起源は、木蓮尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)という、飢えと渇きに苦しみ続ける世界に堕ちた亡き母を救うために、師匠のお釈迦様に助けを求めたものです。
お釈迦様は、「あなたの母は、欲深く他人を慈しむ心を持たなかったから餓鬼道に堕ちてしまったのです。」とお教えくださいました。
 木蓮尊者のお母さんは我が子に対しては優しく、愛情あふれる良い母親でしたが、我が子を愛するがゆえに、我が子さえよければと、余分にあっても他人に分け与えることをせずを、他人を押し退けてでも、見捨ててでも我が子を優先する。そんな歪んだ感情の結果として、他人を慈しむ心を忘れ、餓鬼道に堕ちてしまったのです。
 お釈迦様は「母を救いたいと願うのなら、あなたが代わりに人々に施しなさい。多くの修行僧や民衆に、食べ物や飲み物、寝床や寝具などを施して、皆に一緒に、母を供養してもらいなさい。そうすれば、その功徳で母親だけでなく、過去7世代のご先祖さままでも救われる」とお教えくださったそうです。
喜んだ目連尊者は教えられたとおり、旧暦の7月15日に多くの人に施し、過去7世のご先祖様を供養し、無事、餓鬼道にあった母は救われたことが、お盆の始まりだとされています。

 このことから考えると、お盆というのは、縁ある方々の供養をする前に、自分自身が普段の言動を点検して、他者を慈しむ心を育むための期間です。
『人に優しく、必要なものは分け合って』大切なことだと分かっていても、自分や家族、大切なものを守るために、ついつい木蓮尊者のお母さんのように振舞い、さらに「仕方のないことだから」とそれを素直に反省できないのが私たちです。
「お墓には親が行くから、自分にはお盆なんて関係ないよ」と言う方もいます。
しかし、そうではなく、お盆という機会があることで、自分の言動を見直す良いきっかけをもらっているのだと考えてみてはいかがでしょうか?
 そういう気持ちが、周りの人だけでなく自らを豊かにし、その姿を見てご先祖様はじめ縁ある方々皆さんが自然と喜んでくださる何よりのご供養となります。
 さらには、「お盆は他者を慈しむ心」そう思いお念仏をお唱えし続けることが、お盆渋滞のイライラを緩和して、安全運転の助けになるかもしれませんね。  合掌