救いの手 令和6年2月

 皆様は「本田宗一郎」という人物をご存じでしょうか。修理工から一代で日本を代表する本田技研工業株式会社(通称ホンダ)を築き上げた自動車業界の偉人です。その宗一郎氏に関するエピソードで、次のようなものがあります。
 宗一郎氏は、技術的に開発不可能と言われた、低公害エンジンの開発に世界で初めて成功した翌年に六十六歳で社長を退任されました。会長にも相談役にもならない鮮やかな引き際と賞賛を受けながらあっさりと退かれました。宗一郎氏は引退後の有り余る時間を利用して、ホンダのすべての代理店、関連企業、営業所、サービス工場へお礼に回ることを思いつきました。国内の二・三人ほどの販売所から海外の工場まで、世界中隅々まで足を運び、一巡するまで三年もの歳月をかけて社員一人一人と堅い握手をして回りました。
 生涯をものづくりに捧げた宗一郎氏の左手は、人差し指と親指が右手に比べて一センチ近く短く、指にキリが突き抜けた跡や、切削工具が手の甲を貫通した跡が残されていました。
一代で日本を代表する会社へと育て上げたその苦労の結晶である左手を拝んでみたい。どこのホンダ社員も大歓迎で宗一郎氏を迎えました。
 ある国内の販売店で握手をしていたときのことです。現場で作業をしている社員が宗一郎氏に握手してもらおうと手を差し出しました。ところが、自分の手が油まみれになっていることに気がつき、その手をあわてて拭こうとしました。そんな若者に対して宗一郎氏は、「いやいいんだよ。その油まみれの手がいいんだ。 俺は油のにおいが大好きなんだよ」といって、しっかりとその手を両手で握られたそうです。宗一郎氏は握手の旅で多くの人々の手を握り、現場の苦労を感じ幾度となく涙を流しました。その宗一郎氏の姿は現場の方々の大きな励みとなり、中には宗一郎氏と一緒に涙を流す方もいたそうです。
 思えばこのコロナ禍でずいぶん殺菌消毒を繰り返してきましたが、私の手はいくら洗っても消毒をしても決して落としきれない煩悩の油にまみれています。コロナ禍により、あらためてあぶり出された自身の愚かさには目を覆いたくなります。嫌、コロナがあってもなくても、煩悩まみれの私たちは、容赦なくやってくる苦しみを冷静に受け止めることもままならず、日々間違いを繰り返し、過ちを犯し続けているのです。
 もろく儚い私たちの手をやさしくにぎりしめ、決して見捨てず、間違いなく極楽浄土へと導いてくださる阿弥陀さまの深いお慈悲を感じるとき、私はよろこびと力が湧いてきます。
 どんな時でも阿弥陀さまの存在を励みとして、お念仏をおとなえしながら常に阿弥陀さまと共に、日々を力強くおくらせて頂きたいものです。