よく「なむあみだぶつ」とお念仏を申すと、縁起が悪いとか、亡くなった時にだけお称えする言葉だと思っているお方がいらっしゃいます。しかし、実際のところ、そうではないのです。
東京芝の大本山増上寺のご法主であられた藤堂恭俊台下(とうどうきょうしゅんだいか)というお方は、
「この世に肉体があるうちは、お念仏の利益がないかというと、そうではない。たとえば新幹線で京都から東京へ行くのと同じで、東京は目的地だけど、途中琵琶湖もみえる、浜名湖も通る、富士山の景色も楽しめる、そのような目的地外のご利益があるのです。生きている内の念仏の功、お念仏の功徳とはこういう内容です」
と仰っております。
お念仏を申すと、亡きお方が救われてゆくのはもちろんのこと、この私たちもいずれ命尽きた時に阿弥陀さまのいらっしゃる極楽浄土へと往生させていただくというのは、100パーセントと間違いのないことなのです。しかし、それは亡くなった後のことだけではなく、生きているうちから申すことで、いろんな景色を見ることが出来る、つまりは功徳をいただくことが出来るのでございます。
目的地までの色々な景色を楽しむことが出来るように、この世においては、必ず阿弥陀さまのみ光に包まれ、慈風にふれて、私たちの心もお育てていただき、深められ、尊く、輝きをもって歩ませていただけるのです。
今月は秋のお彼岸でございます。亡き方々を思って、手を合わせて、お念仏をお称えさせていただく。と同時に、この私たちもいずれいかなければならないお浄土を思いを定めて、お念仏を申すことで、日々、守られて、導かれて、一歩一歩、歩みを進めさせていただけるのです。
お彼岸は、心の向きを変える日とも言われています。ですからどうぞ、今この時から、心から信じてお念仏を申していただきたいものでございます。
合掌