声の力 令和3年4月

 4月に入り寒さが厳しい北海道はようやく春を感じさせる気候になって参りました。4月は年度初めで進学や就職、転勤等で新しい環境でのスタートや準備のため街中を歩いていると不安や期待を含めた色々な声が自然と耳に入ってきます、今回はこの「声」について少しお話しをさせて頂きたく思います。
 仏教には様々な宗派があり各宗派にはそれぞれの特徴があります、そして、各宗派それぞれに大切にしている実践の行があります。分かりやすい例で言いますと曹洞宗、臨済宗等の禅宗です。禅宗は文字通り「座禅」をすることが特徴でありその実践をとても大切にしています。それでは私たち浄土宗の特徴、大切にしている実践の行は何かというと「南無阿弥陀仏を実際に声に出してお称えする(お念仏)」という事です。この「声を出す(お念仏)」という事が浄土宗でとても大切にしていることです。
 しかし、今、ライン等のSNSの発達や電子機器の進化でこの「声を出す」ということを出来ない人、苦手な人がとても増えています。そして、大人でも「一声かける」という事が出来なくなってきてそれが元でトラブルになることも多いです。私の友人に大工、漁師をしている友人達が多くいるのですが、仕事の現場で特に最近の子は声の出せない子、声を出す事の苦手な子が増えていてお互いに挨拶も出来なくてコミュニケーションが取れず、危険な作業をする前に周りに一声かけることをせずにいきなり機械を動かしたりするからとても危険な事故が起きたり、事故まではいかなくても大変危ない場面を目にすることが多いと言っていました。
 また、以前テレビで観たのですが、今、「声を出す」という機会が少ないため喉の筋力が弱りそのことが原因で食べ物や飲み物を飲み込む力等が弱り誤嚥性の肺炎で亡くなる方がとても増えているそうです。また、喉の筋力が弱いと平均寿命より7~8才は若くして亡くなるというデータも出ていました。
 ライン等のSNSもそうですし、色々な事が発達してきて実際に声に出さなくてもコミュニケーションがとれたり、用事を済ませたりすることが出来るようになりました。しかし、それは同時に「声を出す」という機会が奪われているということです。
 そして、人間は傲慢になってくると自分から声を出さなくなります、また逆も真なりで声を自分から出さないから傲慢になってきます。「言わなくても分かってくれる」、「あいつから声をかけてきて当たり前」、「あいつから一声の挨拶があって当然」、自ら行くのではなくワザと人を使わせて挨拶に行かせるなど自分から声をかけなくなります。
そのことが人間関係においてトラブルを起こすことが多々あります。
 「声が失われた時代」に実際に「自ら声を出す」というお念仏の実践行は、これからの時代とても大切になってくると思いますし、必要になってくると感じています。心と体を謙虚にしてくれると思います。そのことを自らのお念仏の実践を通して伝えていきたく思います。