無常迅速 令和5年8月

 子供のころは、夏休みが心躍る最高の時でした。早起きをしてクワガタやカブトムシを捕まえ、水遊びをし、夏祭りや花火大会をどれだけ心待ちにしたことでしょうか。
しかし、楽しい時間はあっという間で、夏休みの最後には、手が付けられていない宿題を目のまえに、絶望を感じ泣きながら宿題を片づける、今となってもこの季節のこの風の匂いが、あの時を想起させます。

法然上人は、人生そのものも、この夏休みと同じであるとお示し下さっております。
 それ、あしたに開くる栄花(えいが)は、ゆうべの風に散りやすく、
 ゆうべに結ぶ命露は、あしたの日に消えやすし。
 これを知らずして、常に栄えん事を思い、
 これをさとらずして、久しくあらん事を思う。

「朝、見事に咲く花も、夕方の風に散ってしまいます。夜露が葉にできても次の日の朝には、蒸発してしまいます。このように、時の移りゆくのは早く、形あるものは崩れさり、勢いのあるものも、衰えていきます。
しかし、私たちは、この世のは常に移り変わっているというものを知らずに、いつまでも勢いがあるように思ったり、まだまだ、もう少し大丈夫と考えてしまいます。」

だからこそ、法然上人は、いつ人生の終わりを迎えるかも分からないのだから、しっかりと修行を努めなければなりません。
何度も苦しみに出会う場所に生まれ変わりながら、やっとすばらしいお釈迦様の教えにふれることが出来る世に生まれることができたのです。
その尊い教えに触れながら修行もせずに、むなしく死んでいくことは、なりませんと、だからこそ、いつお迎えが来ても後悔のない毎日を過ごすように、私たちにお念仏をお勧め下さいました。

南無阿弥陀仏「助けたまえ、阿弥陀仏」とお称えするもの、皆を平等に一切の苦しみに出会うことがない、極楽浄土にお導き下さる、仏様のお誓いです。
この機会に、極楽浄土に往生できなければ、また苦しみの世界をさまよう運命にある私たちは、後回しにせずただひたすらにお念仏をお称えするしかないのです。

共々にお念仏の行を勤めて参りましょう。

合掌