お念仏の秋 令和5年10月

 10月になり日増しに秋を感じ、寒さがきびしい季節となりました。
 境内の木々も黄色く色づき、一面に枯れ葉が落ち、その落ち葉を掃除しながら、今年ももうこの時期がきたのかと思いながら日々を過ごしております。
 秋と言えば「スポーツ、読書、食欲」など様々な秋がございますが、皆様はどのような秋をお過ごしでしょうか。
 私は秋になると「今年も十夜の季節が来たな」と感じ、「十夜の秋」を過ごしております。
 それは10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院で「十夜法要」がひろく執り行われえており、私の自坊でも毎年10月に「十夜法要」を勤めているからです。
 ところで皆様は「十夜法要」を御存知でしょうか?
 浄土宗で大切にしている浄土三部経の一つ「無量寿経」というお経に、十日十夜の間、お念仏をお称えすると仏様の国で千年の修行をするより功徳があるという教えをもとに、今から550年ほど前の15世紀の初め頃、京都にあります真如堂というお寺で始まり、浄土宗では1495年明応4年に後土御門天皇の招きで、現在の浄土宗大本山の一つであります鎌倉光明寺第9世観誉祐崇上人が宮中で『阿弥陀経』の講義を行った後、真如堂の僧侶とともに十夜法要に参加し、後に天皇陛下のお許しを得て、光明寺で十夜法要を行ったことが始まりです。それが全国の浄土宗寺院にも広がっていったのです。
 阿弥陀様はお念仏を称えた者はすべて分け隔てなくお救いとると誓われて、そのお誓いを成し遂げ仏となられました。お念仏をお称えしたものはすべて分け隔てなく救ってくださるという教えの尊さを知り、感謝するとともに、自分だけではなく家族や御先祖様、皆が救われるようにお念仏を称える法要です。
 『ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して疑いなく、往生するぞと思いとりて申す外には別の仔細候わず』これは浄土宗をお開きになった法然上人が、極楽へと往生される2日前に書き遺した、一枚起請文というお念仏の心得を示した書物の一文であります。
 阿弥陀様が居られる極楽浄土へと往生し救われるためには、必ず阿弥陀様が救ってくれるのだと信じて、ただただ南無阿弥陀仏とお念仏を称えなさい。その他に厳しい修行だとかはしなくても良いから、南無阿弥陀仏と称えれば、必ず阿弥陀様が救ってくれるのだと信じて、お念仏を称えなさい。そうすれば阿弥陀様は必ず救ってくれるからという意味です。
 なにも難しい事はしなくてもよいのです、ただ救ってほしい、助けてほしいと思い、自分のため、家族、友人、皆のために南無阿弥陀仏とお念仏を称えればよいのです。このような易しい、誰でも出来て、皆が救われるお念仏の教えに出会えたことを悦び、「十夜法要」に参拝し、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えして、今年の秋は「十夜の秋」「お念仏の秋」を過ごしましょう。

合掌