親孝行 令和5年11月

 「親孝行、したいときには親はなしさりとて、墓に布団は着せられず」
生前に親孝行することの難しさが描かれています。
 しかし、難しいとはいえ、両親が生きている間は経済的にも精神的に直接手をさしのべることはできます。
もし、亡ってしまい直接会えなくなってしまったら、どのように親孝行をしたらよいか・・・
 法然上人は、
「孝養の心をもて、父母を重もくし思わん人は、まず阿弥陀仏に預けまいらすべし。わが身の人となりて往生を願い念仏することは、ひとえにわが父母の養い立てたればこそあれ。」
 父母を大切に思う人は何よりもまず阿弥陀仏にじぶんの両親をお任せします。自分が一人前になって往生を願い念仏することはひとえに父母からこの命を授かり私を養ってくれたからです。
 近年、昔のように親子何世代も同居する家庭は少なくなりました。普段自分の生活に直接かかわることが少なくなったからか親の存在、行動が面倒に思う子供もいるのではないでしょうか。それでも何にも代え難い命をいただいた両親。この世から旅立ち直接的に親孝行ができなくなると、生前にもっとこうしてあげればよかった。あの時になぜ気にかけてあげられなかったのか。親と交わした最後の言葉何だっただろう・・・
 そんなやり残してしまった心残りを抱える私たちに阿弥陀仏は間違いのない教え、お念仏の教え本願をお示しくださいました。
 「私の名前を呼びなさい。そうすれば必ず私の世界、西方極楽浄土にすくいとるぞ」と。
阿弥陀仏さまは本願の言葉「なむあみだぶつ」のお念仏を残してくださいました。
このお念仏は親でなくとも先に亡くなられた方々。肉親であったり親せきであったり友人、知人、大事な人たちに会うカギであり、そしてこの私たちがこの世での最後が訪れた時、良い未来、西方極楽浄土に行くためのカギであります。
 家に入るときドアを開けて入るにしても鍵を開けなければ中に入れません。みなさんの使っているスマートホン、鍵がかけていますよね?顔認証、パスワード、ピンロック、カギを外さなければ使えませんよね?
 理屈はわかっていても行動に移さなければ意味、効力、力を発揮しません。
 この世、慌ただしく移り変わる中、一生懸命生きている中でも「南無阿弥陀仏」「なむあみだぶつ」とお称えできるお念仏。それは立っていても横になっていても仕事をしていてもご飯を食べたりしている時でもお称え出来るのがお念仏です。
 一遍の「なむあみだぶつ」でも意味、効力、力となります。
 思い立った時、お念仏を称えれば大事な方がそばにいてくれます。笑顔で私たちのそばにいてくれます。なにとぞ一度でも多くお念仏に触れていただきたいと思います。
 心の扉、あなたのお念仏で開いてください。

なむあみだぶつ