蓄積 令和5年12月

 今年もあと残りわずかとなりました。いよいよ雪の季節がやってきます。雪深い地域では、あっという間に降り積もる雪により、道がせまく通りづらくなります。二車線だった道路が一車線になり、狭い道は対向車とすれちがうのも大変になり、最悪の場合道路が通行止めになることもあります。
もし一冬で一度も除排雪が行われなければ私たちはどうなってしまうでしょうか。どこにも出歩けず、物流は止まりとんでもないことになるでしょう。
 では、我が身の欲の除排雪はどうなっているでしょうか。煩悩の雪を降り積もらせ、気がつかないうちに積もり積もった煩悩により正しい道を見失ってしまうのが私たち人間の悲しいところですが、正しい信仰を持つことで今まで埋もれていて見えなかった道が開けるはずです。
 法然上人は、「雪のうちに仏の御名を称ふればつもれるつみぞやがてきえぬる」とお歌を詠まれ、雪のように降りやまない我々の罪も、阿弥陀さまのお名前であるお念仏をとなえれば、たちどころに罪が消えていくとお示し下さいました。
 朝目が覚めるととんでもない雪で玄関が埋め尽くされていることがありますが、気がつかない間に私たちの罪も積もり積もってしまうのです。だからこそ、浄土宗の多くの寺院では、一年の罪の垢を落とすために清らかな除夜の鐘を撞き、お念仏をおとなえするのです。 
 仏さまと心が通じあえば、煩悩まみれの私の心に一筋の光明がさし、その光明が照らす道を頼りとして、私たちが本来進むべき道を歩むことができるのです。
 容赦なく降り積もる恨めしい雪を除雪する際は、この雪は我が身の煩悩と受け止めて、仏さまを念じる良い機会だと除雪すらも尊い仏縁にして、厳しい冬を乗り越えていただきたいと存じます。