お念仏からはじまる幸せ 令和6年3月

 令和6年、今年は浄土宗が開宗され850年という記念すべき年であります。我が浄土宗としても開宗850年慶讃事業のスローガン「お念仏からはじまる幸せ」として事業が展開されております。
では「幸せ」とは何でしょうか?世間一般では、幸せの条件は「身・命・財」と言われております。身…健康な身体、命…そこそこ長生きが出来て、財…食べることに困らない財を持っていると幸せと言われてます。しかし、本当にそうでしょうか?宗祖法然上人は、「幸せ」というお言葉は使われませんでしたがご法語の中で「悦びの中の悦び」と仰せになっております。
 法然上人がご存命の時代も、戦乱・飢饉等で大変な苦しみの世界であったと言われております。時代は変わっても、災害や戦争・紛争があちらこちらで起きています。どんなに平和を願っても、私たちの力が及ぶことの出来ない解決されない苦しみの世界であります。私たちが暮らすこの世界も法然上人がお暮らしになった世界も苦しみの世界です。法然上人は、自らも私たち凡夫(煩悩に束縛され迷っている人)も、この苦しみの世界から抜け出す術を模索され苦悩の毎日をお過ごしになっておられました。法然上人43歳の時、善導大師さまの「観経疏」のある御文とお出会いになられたのです。「ただひたすらにお念仏を称え、どんな時も絶え間なく称えること、これが正定の業である。なぜなら阿弥陀さまのご本願に適った行であるからである」という御文です。「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまの御名を称えれば阿弥陀さまのご本願の力で誰もが何の苦しみのない極楽浄土に救いとって頂けるのです。
 私たちは日頃、宗教的に目に見えない罪を犯したり、人を傷つけたりする愚かな存在です。仏道修行を何一つ満足に成し遂げられない、つまりはこの世では苦しみを抜け出せない、仏になる・解脱することが出来ない「罪悪愚鈍」な存在なのです。そんな「罪悪愚鈍」な私たち凡夫が唯一救われる術「お念仏」の御教えを法然上人が生涯をおかけになられお示し下さったのです。お念仏を称え、苦しみの全く無い「極楽浄土」に往き生まれること往生することが本当の「悦びの中の悦び」なのです。
 今年、浄土宗開宗850年。今一度この節目の年にこの苦しみの世界から抜け出す術。そして、私たちの本当の幸せが何なのかを考えるべきではないでしょうか?

( 2024年2月29日 )

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